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コロナ禍に会社を辞めた話

仕事
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2社目の会社をこのコロナ禍に辞めた🍓です。

どちらかというと雰囲気ゆるい会社だったのですが、ここ数年様子がおかしかった。

どんどんゆるさから離れていっている気がしました。

昨年、欠員が出て我が部署は人員を数名失うことになりました。

私達は、大量の仕事量を抱えることになりました。

更にプレイヤーとしても活躍していた上司も人事異動となり、

私達は、更に大量の仕事量を抱えることになりました。

補充されたのは、新人正社員1名とパート社員1名。

減った人員に対しての増員数の比率が明らかにおかしかった。

それでも、仕事をまわさないと他部署からクレームが来るとか、

社会人として、仕事は終わらせなくてはいけないとか、

そんなことを考えて、毎日残業をしていました。

今となってはくだらない話です。

人を雇うかどうか、考えるのは上層部で、その上層部に話が上がらなければ意味がない。

仕事をまわしてしまっていては、意味がなかったのです。

仕事が終わらなければ、置いて帰って、次の日上司に人手が足りないので、

終わらなかった。終わらなかったから帰った。

くらい言ってやればよかったのです。

各部署から苦情の嵐になろうが、人手が足りないから仕方ないのだ。

と開き直ればよかったのかもしれない。

社会人として働いてまもなく10年。

社会人としての心得とか、本当に信じないほうがいいかもしれません。笑

実際働いてみれば、そんなもの通用しないし、人としてとか思わないほうがいいかも。笑

私が辞めた理由を紹介します。

 

残業がマストになった(どんなに頑張ろうと定時には帰れない仕事量)

何度だって言いますが、残業がマストっておかしくないでしょうか。

定時というものが存在しているのですから、本来定時になれば帰っていいはずです。

要するに仕事量が適切ではないということです。

元々、欠員が出るまで、私の仕事量は10段階のレベルでいうと7くらいかと思います。

普通より少し多いくらい。

おたくたるもの、とにかく早く帰りたいですから、ガンガン仕事をします。

7レベルであれば定時で終わります。多少残業する日もありますが、許容範囲内です。

それが、ここ1年間の仕事量レベルは12ってところです。10段階のレベルを超えてきている。

終わるわけがありません。

どれだけ仕事が速い人間であっても、限度がありますよね。

ロボットだって機械だっていつかは壊れるのと一緒で。

この仕事量をずっとこなしていれば、人間も壊れていきます。

 

残業が多い(朝8時20分出勤で20時すぎに帰る日が多くなった)

これも残業がマストとほとんど同じ意味になりますが、

朝8時20分に出勤をして、20時20分まで働いたとするとお昼休憩除いて

11時間働いていることになります。

私はそんなに体力がある方でもないので、体がどんどん消耗していきました。

家に帰ってご飯を食べてお風呂に入って10時からのドラマぎり観れるか

っていうところでしょうか。

録画したテレビを観てリラックスする時間がほとんど持てませんし、

気がついたら寝ているというような状態になります。

 

お昼休憩になると電気を消された

これは前にブログ記事にしたことがありますが、

電気を消されて薄暗い中にいると、気持ちまで暗くなりうつ状態のようになります。

特に残業続きで心が荒んでいた私はその影響をモロに受けた感じがします。

人と関わることが嫌になり、お昼も車に逃げるようになりました。

車の方が明るく、好きな子の動画を観てなんとか心の状態を保っていました。

 

なんでもかんでも私に聞けばいいという風潮になった

先輩がそのような役回りでした。

先輩が辞めてしまって、その役回りが私にきたっていう感じでした。

なんでも聞けばいいやと思うと人間はその人に依存するようになります。

自分よりずっと年上の何十年も働いているおじさん、おばさんから

なんでもかんでも聞かれるようになるのです。

忙しくなければあまり気にならないものですが、レベル12の仕事量ですから、

質問に対応すればするほど、自分の仕事が進まない計算になりますね。

 

休みの日、寝て終わる日が増えた

休みの日は、ライブ映像や録画したテレビを観たり、雑誌を読んだり、

手紙を書いたりして過ごしていた私ですが、

ぼーっとリビングで過ごし、気がついたら眠っていて夕方になっていた。

なんていう日が増えました。

休みだというのに無気力。

なんとか、来週の録画容量を確保するくらいはするっていう感じでした。

おたくをするために働いていたのに、おたくができなくなっていました。

本末転倒ですね。

 

コロナ禍だから

コロナ禍だから、転職活動を見合わせている人が多い中ですが、

私はコロナ禍だから、会社を辞めました。

コロナ禍以前は、先の現場が決まっているから、その日までは絶対に収入を断つわけには

いかなかったから。

どんなに辛くても、現場までは絶対に続けるという根性で働いていました。

昨年先輩が辞めた時点で私も退職を意識していました。

でも、春にコンサートをすることがわかって、その日まではなんとしても

続けなくてはと思ったので1年続いたという経緯があります。

(結局コロナ禍により中止となりましたが)

いつコロナ禍が終息するかわからない。

現在主な現場は配信ライブとなります。

交通費もホテル代も必要ない。

仕事を失うタイミングとしてはベストでした。

しばらく転職先が見つからなくてもなんとかなります。

おたくありきの仕事だから。

こんな生き方があったっていいじゃないですか。

 

大事なことを忘れてしまった

仕事量レベルが12なので、脳がどんどん使っていない記憶を消していくようになり、

仕事以外の記憶が消えていっていました。

配信ライブを観ているとき、ステージの上手下手がどちらだか忘れてしまっていた。

現場に行くおたくたるもの、上手下手という基本中の基本を忘れたということが

ショックでしたし、ここまでの基本的なことを忘れてしまうのでは、

もう潮時だと思いました。

めちゃくちゃ些細なことでしたが、ここで仕事を辞めることを確定した気がします。笑

 

死にたくなった

暗い話になりますが、ここまでくると死にたくなるものです。

生きる糧であった、おたくをする時間がない。

お金は大事だと思いますが、一番大事なのは時間だと思います。

お金があっても、使う時間がなければ本末転倒だからです。

10月くらいから、めちゃくちゃ忙しくなり20時すぎに帰ってくる日々が続いて

寝る時にどうやって死のうか考えるようになりました。

でもその同時期、身近でお世話になっていた方が亡くなり、亡くなるってこんなにも、

こんなにも悲しいのだなと思いました。

そこから、死ぬくらいならば辞めたほうがいいなと思ったのです。

病院等には行っていないのでわかりませんが、私は軽い心の病気になりかけていた

かもしれません。

 

最後に

現在無職ですが、後悔はありません。

死ぬくらいなら辞めてよかったと思います。

若干これからのことを考えて暗い気持ちになることもあります。

でも溜まっていた録画を沢山観て毎日笑っています。

私はあのまま働いていたら、なんらかの病気になっていたか、

自分を守るためにめちゃくちゃ性格の悪い大人になっていた気がします。

あんな大人にはなりたくない。

心から思います。

自分がしたことは、いつか自分に返ってくると思っています。

人が嫌がることをすれば、いつか自分もそんな思いをしなくてはいけなくなる。

人にやさしくすれば、期待はしない方がいいけど、少なくとも悪いことは返ってこない

だろうと思っています。笑

チケットになって返ってきたらいいな。笑

 

多様化とか言われている時代ですが、地方はまだまだそんな空気ではないです。

もっとみんなが生きやすい世の中になりますように🍓

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